秋葉原のラジオ会館7階にあったNEC社のBit-INN東京跡地に,「パーソナルコンピュータ発祥の地」プレートが設置された。Bit-INN東京は76年に開設されマイコンに触れたい客であふれた。ソフトバンク社の孫正義社長やアスキー社創業者の西和彦氏も10代のときに訪れていた。
『あるPCメーカーの開発室を訪れた私たちは,開発者である人物から,そのソフトの概要を聞かされた。まさか,そんなものがあるなんて…と思ったが,開発者は「試してみますか?」と,なにごとでもないように私たちを「実験室」という札のついた部屋へと案内してくれた。そのソフトとは,人の心の中の「想い出」をエミュレートするというもの。プログラムをダブルクリックすると,開発コードであろう「mEmORiZe」というタイトルが映し出され,その後,人それぞれの「想い出」の場面が映し出される。
最初に試したカメラマンの画面には,真っ黒い背景に白い線だけで描かれたRPGのダンジョンの画面が出てきた。それをみながらカメラマンは,眠くて仕方ないように目をこすりながら熱中していた。喜びに満ちた表情でモニタに向かい,そして意識を失ったようにうつぶせになって眠ってしまった。まだ,実際の時間は昼過ぎだというのに。私たちはカメラマンの肩を揺すったが,開発者は「静かに寝かしておいてあげましょう。とても幸せな気持ちのようですし…」と云って,助手にカメラマンの移動を促した。確かに,そのカメラマンの表情は,今までみたことがないほど,喜びに満ちていた。次に実験をさせてもらった編集アシスタントの画面には,ずいぶんと昔の「一太郎」のテキストファイルが現れた。一太郎のバージョンは,4.3。NEC社のPC-9801上で動いているものだ。そのJFWファイルには小説のようなものが書かれてあり,その筆者名はどうやらその編集アシスタントの名前だった。彼はそれをみながら,とても悔しそうにしていて,そして急に,人目をはばからずに泣き始めてしまった。泣き声は高まり,慟哭に近くなる。机を,拳が傷つくのではと思うほどに打ち付け,全身を痙攣させるほどに感情を昂ぶらせていた。開発者は「ああ,これはまずい」と,咄嗟に彼をPCのモニタから遮り,強制終了。彼は,その後も部屋の隅で泣き続け,気持ちを落ち着かせていた。人には触れたくない想い出や,意図的に沈めている想いもある。モニタ上のウインドウにあるのは,エミュレートされたものに過ぎない。だが,PCのエミュレートは,現実を凌駕してしまうこともある。例えば,プレステをエミュレートする「ブリームキャスト」が,実際のプレステの画面よりきれいになってしまうように…。
私たちがその実験室をあとにするとき,「このソフトを発売することは,…ないと思います」と,開発者はちょっと悲しそうな顔をしながら云った。「PCとしてこのようなソフトを実現できることは,とても大切なことで,他にも応用が利くことだとは思います。でも,想い出にしがみつくのは,やはりマイナスになることもあるし,どこまで辛い想い出を抑える設定にするかは,赤の他人である私たちが決めてしまうことはできない。…だから,発売することはできないと思います」。私はその言葉を,ただの新し物好きとしては残念に思いながらも,それが正しいのかもしれない,と思いながら,家路についた。』
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